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木津川市と木津川について

木津川市と木津川

木津川市誕生

木津川市が誕生したのは結構最近の2007年3月12日です。 この時、京都府相楽郡の木津町、山城町、加茂町の3町が合併して木津川市となりました。 木津川市は京都府でも最南端に位置していて、奈良県と隣接しています。 木津川市の誕生は最近ではありますが、歴史的にも文化財が多く、「関西文化学術研究都市」としての一翼を担うなど地域としてその存在感を増している市です。

木津川市の歴史

木津川市の歴史は、その名のとおり淀川の支流である木津川と深く結びついています。 3世紀ごろから木津川は交通路として利用され、淀川を通り大和と瀬戸内を結ぶ航路の起点となっていました。旧木津町一体は、古代には「泉木津」と呼ばれていました。 ただ、その先の名の由来はいろいろ説があるようです。

木津川市と木津川

「木津」とは「木材の津(港)」を意味しますが、「日本歴史地名大系」【木津川】の項目によりますと、川名は流域によって伊賀川(夢絃峡まで)・笠置川(相楽郡笠置町付近)・鴨川(同加茂町付近)ともよばれる。また古文献には和訶羅河(古事記)、和韓河・山背川(日本書紀)、泉河(泉の川・泉水川・和泉川とも書かれる。「万葉集」「中右記」など)、鴨川(万葉集)などと記されてきた。また「こつかわ」(「山科家礼記」など)ともよばれている。古くから歌に詠まれ、泉河・鴨川は歌枕でもある。

・・・とのことで、多くの異名があったものの最終的に「木津川」に落ち着いたようです。 この「泉木津」は、京都盆地の最底部に昭和10年頃に埋め立てられるまであった巨椋池拠点として、淀川水系の河川とを経て伊賀国・山城国・近江国・丹波国、そして大阪湾・瀬戸内とも結ばれていました。 この「泉木津」には、南都諸大寺の木屋が設けられていて、藤原京・平城京の建設工事、寺の建立においては、その立地が存在感を示したものと考えられています。

もう一つの木津川

大阪府大阪市の南西部を流れる淀川水系の下流における分流で、ここにまた「木津川」と呼ばれる川があります。先に説明しました「木津」とは「木材の津(港)」から推測できるようにこの川の名称の由来も木材を運搬しその搬入拠点であったことによるものです。 この大阪の場合は、聖徳太子が四天王寺を建立するためにその用材をあつめ搬入した拠点港であったとされていて、木津川市の場合とよく似た経緯であったようです。 ちなみに全国的にも木津という地名はいくつもあるようです。

木津川市の見所

  • 上狛茶問屋街 看板
    上狛茶問屋街 看板
  • 日本遺産 茶問屋街
    日本遺産 茶問屋街
  • 恭仁京跡
    恭仁京跡
  • 恭仁京跡
    恭仁京跡
  • 恭仁京跡 コスモス畑
    恭仁京跡 コスモス畑
  • 高麗寺史跡案内板
    高麗寺史跡案内板
  • 史跡高麗寺跡石碑
    史跡高麗寺跡石碑
  • 高麗寺公園
    高麗寺公園

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